○陳子昂の『薊丘覽古贈盧居士藏用七首(並序)』、『登幽州臺歌』詩と見てきているが、陳子昂には連作『感遇詩三十八首』と言う大作があると言う。とても全部を案内できるものではないが、その幾つかを紹介したい。
○今回は、陳子昂『感遇詩三十八首』詩の其の四を、案内したい。
【原文】
感遇詩三十八首:其四
陳子昂
樂羊為魏將
食子殉軍功
骨肉且相薄
他人安得忠
吾聞中山相
乃屬放麑翁
孤獸猶不忍
況以奉君終
【書き下し文】
感遇詩三十八首:其四
陳子昂
樂羊は魏將と為り、
子を食して軍功に殉す。
骨肉の且に相薄ければ、
他人の安くんぞ忠を得んや。
吾れ聞く、中山の相、
乃ち放麑を屬むる翁。
孤獸すら猶ほ忍びず、
況んや君を奉るを以て終るをや。
【我が儘勝手な私訳】
戦国時代の樂羊は、魏の将軍となって、
自らの子を殺され、なおかつ食してそれを軍功とした。
親子親戚縁者の情愛がこれくらい薄いのに、
どうして他人との忠信を獲得することができようか。
私は中山あたりの風習として、次のような話を聞いている、
野に放たれた幼い鹿を集めるのには、必ず年老いた鹿を用いると。
鹿のような孤獸でさえなお情愛は存在すると言うのに、
まして主君を奉る臣下にあってはなおさらのことである。
○陳子昂は、『感遇詩三十八首』詩の其四の冒頭で、唐突に樂羊を持ち出す。其一から其二、其三、其四と、話は繋がっているけれども、樂羊が何故、ここで出現するかが、よく判らない。あるいは、武将としての悲哀を表現したかったのかも知れない。