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枕詞「天降付く」が教えること:其十

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○『枕詞「天降付く」が教えること』と題してブログを書き続けているが、其十にまでなってしまった。それ程、枕詞「天降付く」が教えてくれることは多い。枕詞「天降付く」が教えてくれることとは、大和三山が何処に存在したかを証明することでもある。

○なぜなら、枕詞「天降付く」が掛かるのは、香具山以外には存在しないのだから。だから、枕詞「天降付く」が掛かる山が香具山だと言うことになる。奈良県橿原市に香具山が存在する。しかし、どう考えても、奈良県橿原市で、枕詞「天降付く」を説明することはできない。

○世に出ている「万葉集」の解説書で、枕詞「天降付く」を真面目に説明している書物は、皆無だと言うしかない。これまで、誰も枕詞「天降付く」を解読できた人は居ない。それ程、枕詞「天降付く」は、難解なのである。

○その「天降付く天の香具山」が存在するところが邪馬台国である。そのことについては、前にも触れているが、中国の史書「三国志」を読むと判る。「三国志」は三世紀の書物である。日本最古の史書「古事記」「日本書紀」が成立するのは、八世紀のことである。

○したがって、「三国志」が教えてくれることは、日本史上、たいへん重要なことだと言うことが判る。その「三国志」を読むと、三世紀の倭国三十国が、次のように案内されている。
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○同じように、「三国志」には、帯方郡から邪馬台国までの距離数も、次のように、明示してある。
    ・帯方郡→狗邪韓国     七千余里
    ・狗邪韓国→対馬国      千余里
    ・対馬国→壱岐国       千余里
    ・壱岐国→末廬国       千余里
    ・末廬国→伊都国       五百里
    ・伊都国→ 奴国        百里
    ・ 奴国→不弥国        百里
    ・不弥国→投馬国     千五百余里
    ・投馬国→邪馬台国     八百余里
    ・末廬国→邪馬台国     二千余里

○そうすると、当時の南九州に存在した投馬国・邪馬台国・狗奴国がどういうふうに分かれていたかも類推される。それは後世に、日向国が三つに分かれた区分と大枠でほぼ同じだと考えられる。つまり、それは次のようになる。
  ・邪馬台国⇒薩摩国
  ・狗奴国⇒大隅国
  ・投馬国⇒日向国

○判るように、日向神話を後世の日向国で考えることには、大きな問題が生じる。当時の日向国は、後世の薩摩国・大隅国・日向国全体を指すものであったからである。日向神話の舞台にしたところで、薩摩国と大隅国が中心で、後世の日向国は、未だ未開の土地がほとんどであった。

○そのことは「日本書紀」景行天皇紀にあるように、日向国府あたりでも、まだ大和朝廷の支配下になかったことが記録されている。当時、日向国は、ほとんど諸県地方のみだったと思われる。

○したがって、当時から、日向国の中心は薩摩半島であったことが判る。そこがいわゆる邪馬台国である。もちろん、それは中国側の表記に拠るものであって、日本側の表記で表せば、大和国となる。その大和国を代表する風景が大和三山、
  ・霧島山(1700叩
  ・桜島山(1117叩
  ・開聞岳( 924叩
と言うことになる。私はそれを奈良県の大和三山と区別する意味で、邪馬台国三山と呼んでいる。

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