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李白:贈黄山胡公求白鷴

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○前回、李白の「山中問答」詩を案内した。その中で、
  問余何意棲碧山    余に問ふ 何の意ありてか碧山に棲むと
の「問余」で、『余』は李白では無く、胡公暉であろうと述べた。それは、李白が「棲碧山」と発言するほど碧山に定住したことが無いからである。もちろん、一時、李白は湖北省安陸に住んだことはあるけれども、「棲碧山」と発言するほど、湖北省安陸に定住していたわけではない。

○私が『余』は李白では無く、胡公暉であろうと思い至ったのは、李白の「贈黄山胡公求白鷴」詩を読んだことに拠る。胡公暉は、黄山の碧山に住していたと言われる。「贈黄山胡公求白鷴」詩を読むと、李白の「山中問答」詩の内実は、李白自身の思いではなく、胡公暉の感慨だと思わざるを得ない。それは「山中問答」詩の内容が李白にはまるで相応しいものでは無いからだ。それが胡公暉なら、如何にも似付かわしい。おそらく、李白が胡公暉に成り代わって詠んだものと思われる。「贈黄山胡公求白鷴」詩を読むと、如何に李白が胡公暉を尊崇していたかが判る。そういう意味では、李白は胡公暉の代弁者として、「山中問答」詩を作り、胡公暉に贈ったと考えられよう。

○取り敢えず、李白の「贈黄山胡公求白鷴」詩を案内したい。

  【原文】
        贈黄山胡公求白鷴(並序)
    聞黄山胡公有雙白鷴、蓋是家雞所伏、自小馴狎、
    了無驚猜、以其名呼之、皆就掌取食。
    然此鳥耿介、尤難畜之。
    餘平生酷好、竟莫能致。
    而胡公輟贈於我、唯求一詩。
    聞之欣然、適會宿意、援筆三叫、文不加點以贈之。
      請以雙白璧、買君雙白鷴。
      白鷴白如錦、白雪恥容顏。
      照影玉潭里、刷毛樹間。
      夜棲寒月靜、朝歩落花。
      我願得此鳥、玩之坐碧山。
      胡公能輟贈、籠寄野人還。

  【書き下し文】
        黄山の胡公の白鷴を求むるに贈る(並びに序)
    黄山胡公に雙の白鷴有り、蓋し是れ家雞の伏す所にて、小より馴狎し、
    驚猜すること了無、其の名を以て之を呼び、皆掌に就きて食を取ると聞く。
    然るに此の鳥は耿介にして、尤も之を畜ふこと難し。
    餘、平生酷く好めども、竟に能く致すこと莫し。
    而るに胡公の我に輟贈するに、唯だ一詩を求む。
    之を聞き欣然として、適會宿意し、援筆三叫し、文は點を加へずして以て之を贈る。
      請ふに雙白璧を以てして、
      君の雙白鷴を買ふ。
      白鷴、白は錦の如くして、
      白雪、容顏を恥づ。
      照影は、玉潭の里、
      刷毛は、樹の間。
      夜は寒月の靜に棲み、
      朝は落花のに歩く。
      我れ、願はくは、此の鳥を得て、
      碧山に坐して之を玩ぜん。
      胡公の能く輟贈するは、
      籠を寄せて野人に還らんとするか。

  【我が儘勝手な私訳】
        黄山の胡公暉に白鷴を求めた時に贈った詩(並びに序)
    黄山の胡公暉には番(つがい)の白鷴が居て、ちょうど鶏を飼うように小屋を作り、
    幼鳥から親しく馴染んで、決して白鷴を驚かすことも無く大事に育て、
    それぞれに名を付け、名前で白鷴を呼び、白鷴は掌の上の餌を食べると聞いた。
    そもそも白鷴と言うのは、頑固者で、容易に人に馴染まず、飼うことは大変難しい。
    私は、生涯、無性に白鷴が大好きなのだが、これまで白鷴を飼うことが出来なかった。
    それなのに、黄山の胡公暉が大事になさっている白鷴を私に贈るに際して、
    何と、私の駄作一詩が欲しいとおっしゃる。この話を聞いて私は大変喜び、
    すぐさま本心から同意し、筆を執りながら何度も喜び叫び詩作に励み、
    詩作したものは推敲など一切加えずに、そのままの素文を胡公暉に贈る。
      私は貴方の番(つがい)の白鷴がどうしても欲しくて、
      二つの白い玉璧を代金にしてでも購いたい。
      貴方の白鷴の白は、まるで錦繍のように見事で、
      黄山の白雪でさえ、容顏を恥じるほどである。
      白鷴の美しい姿は、仙境中の玉潭の里に似付かわしいものだし、
      白鷴の美しい毛並みは、仙境中の玉樹、樹の間に相応しい。
      白鷴は夜の寒たい月光の静寂中に棲み、
      白鷴は朝靄の桃の落花のを歩行する。
      私が、胡公暉の白鷴を手に入れることが出来たなら、
      私は黄山の白鷴が棲む碧山に引っ越して、白鷴を愛でたいと願うほどだ。
      胡公暉が私に大事な白鷴の番を贈ってくれるのは、
      おそらく、私に大事な白鷴を委託して、仙境に専念したいが為であろう。

○何とも、見事な詩と言うしかない。これが詩仙、李白の実力なのである。何が凄いか。それは李白の白鷴に対する思い入れの凄さはもちろんのことであるが、何より、白鷴を贈呈してくれた胡公暉への思いやりの凄さにある。李白は全身全霊を籠めて鋭意、白鷴を賛美し、全身全霊を籠めて誠心誠意、胡公暉に対峙する。これほどの真心は、なかなか目にすることも無い。太宰治なら、さぞかし、「恥ずかしい」と形容するに違いない。

○白鷴がどんな鳥であるか、誰もが気になる。詳しくは、以下を参照されたい。
  http://baike.baidu.com/link?url=eESJOwjtFSkhNoFfY4DiDmNj6F1D6_WundImyZ4jLwbc_DU9-OENaBFWOewsblWn

○日本にも、似た鳥が居る。それはコシジロヤマドリと言う。雉子に似た鳥で、私も一回しか出会ったことが無い。非常に珍しい鳥である。

○日本でもヤマドリは愛唱されている。

  足引きの 山鳥の尾の しだり尾の
    長々し夜を ひとりかも寝む
          柿本人麿:『拾遺集』恋三・七七三

○2013年6月15日、初めて黄山を訪れた。黄山は、何とも堂々とした山で、美しい山であった。世界遺産に相応しい山である。李白の「山中問答」詩や、この「贈黄山胡公求白鷴」詩を読むと、黄山にまるで遜色無い。と言うか、私には詩の方が遙かに上だと思われてならない。中国には、このようにして自然を楽しむ叡知がある。

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