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杜甫:望岳・第三首

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○杜甫には、「題衡山」詩もあるけれども、知られているのは、やはり、「望岳・第三首」詩であろう。「望岳」詩は、第一首から第三首まであるが、五岳のうち、杜甫が詠っているのは、第一首:泰山、第二首:華山、第三首:衡山である。

○ウィキペディアフリー百科事典が載せる「五岳」は、次の通り。

      五岳
   中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、
  火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。
    東岳泰山(山東省泰安市泰山区)(世界遺産)
    南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)
    中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)(世界遺産)
    西岳華山(陝西省渭南市華陰市)
    北岳恒山(山西省大同市渾源県)
  神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。
  この五岳を象徴図形にしたものが五岳真形図(「五嶽眞形圖」)である。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B2%B3

○この記事を見て気付いたことだが、五岳は、何故か、東岳泰山・南岳衡山・中岳嵩山・西岳華山・北岳恒山の順に並べることが多い。確認のため、中国の検索エンジン百度の「百度百科」が案内する五岳も提示しておく。

      五岳(中国五岳)
   五岳(Five Famous Mountains),古代道家名山。是中国五大名山的总称。即东岳泰山(海拔1545米,
  位于山东省泰安市泰山区)、南岳衡山(海拔1300.2米,位于湖南省衡阳市南岳区)、西岳华山(海拔
  2154.9米,位于陕西省渭南市华阴市)、北岳恒山(海拔2016.1米,位于山西省大同市浑源县)、中岳
  嵩山(海拔1491.7米,位于河南省登封市郊)。泰山和嵩山曾经是封建帝王仰天功之巍巍而封禅祭祀的
  地方,更是封建帝王受命于天,定鼎中原的象征。五岳景色各有特点,受到许多游客的青睐,许多文人
  作家也留下了大量诗文作品。
  http://baike.baidu.com/subview/3668/5268274.htm?fr=aladdin

○ここでは、东岳泰山・南岳衡山・西岳华山・北岳恒山・中岳嵩山の順となっているが、東岳泰山・南岳衡山と続くところに異同は無い。中国五岳は、東岳泰山が第一であり、南岳衡山第二と続けるようである。

○杜甫の「望岳・第三首」は、次の通り。

  【原文】
      望岳:第三首
        杜甫
    南岳配朱鳥  秩礼自百王  歘吸領地霊  鴻洞半炎方
    邦家用祀典  在徳非馨香  巡守何寂寥  有虞今則亡
    洎吾隘世網  行邁越瀟湘  渇日絶壁出  漾舟清光旁
    祝融五峯尊  峯峯次低昴  紫蓋独不朝  争長嶫相望
    恭聞魏夫人  羣仙夾翱翔  有時五峯気  散風如飛霜
    牽迫限修途  未暇杖崇岡  帰来覬命駕  沐浴休玉堂
    三嘆問府主  曷以賛我皇  牲璧忍衰俗  神其思降祥

  【書き下し文】
      望岳:第三首
        杜甫
    南岳に朱鳥を配し、    秩礼は百王自りはじまる。
    歘かに吸す、領地の霊、  鴻洞の半ばは炎方なり。
    邦家祀典を用ふるに、   在徳は馨香に非ず。
    巡守の何ぞ寂寥なる、   有虞の今は則ち亡し。
    吾れ、隘なる世網を洎り、 行邁して瀟湘を越ゆ。
    渇日、絶壁の出づるに、  舟を漾ぶ、清光の旁。
    祝融五峯の尊きは、    峯峯、次いで昴に低る。
    紫蓋は独り朝せず、    長を争ひ、嶫を相望む。
    恭しく魏夫人を聞き、   羣仙は翱翔を夾す。
    時に五峯の気有り、    風の散じて霜を飛ばすが如し。
    牽迫は修途を限り、    未だ崇岡に杖する暇あらず。
    帰来、駕を命ずるを覬み、 沐浴して玉堂に休ふ。
    三嘆して府主に問ふ、   曷ぞ以て我が皇を賛ふるかと。
    牲璧して衰俗を忍び、   神の其れ、降祥せんことを思ふ。

  【我が儘勝手な私訳】
    神の山南岳には朱雀が配置され、貴賤の礼は百代以前の帝王から始まった。
    迅速に天地の霊気を吸収して岳を祀る所は、広闊な天地の半分は灼熱の大地である。
    国家の祭祀儀礼を行うに、徳行が焼香にあるわけではない。
    天子の巡幸の何と空疎なることか、有虞の民は今はこの地に存在しない。
    私は隘陋な世間の束縛に縛られるのが嫌で、遠行して遥々、瀟水湘水を渡って来た。
    何日も、一日中、絶壁の続く中、舟を浮かべて、清らかな光の中、湘水を遡る。
    祝融山の五峯の尊崇なることは、何処までも峰峰が続き、その高さは昴星に近い。
    紫蓋山は孤高の山で、高さを競う峰峰を相望むことが出来る。
    謹んで黄庭経を聞きながら、参詣に訪れた道士たちは天翔るのを期待している。
    南岳衡山は、まさに五岳に相応しく、四方八方から強風が押し寄せ、吹き上げている。
    極端な緊迫で長い参道を歩けず、まだ杖を突いて南岳衡山にお参りする時間が無い。
    南岳衡山を訪れ、駕に乗ることを望み、身を清めて聖堂に休憩する。
    幾度も州郡長官に尋ねる、どうして私の詩をそんなに褒め称えるのかと。
    祭祀用の犠牲と玉璧を捧げて、腐敗した世俗を避け、
      天佑が私に降りて来ることを願わずにはいられない。

○詩人杜甫は、かなりのひねくれ者で、なかなかその素性を見せない。一見、杜甫の詩は、素直で平易な表現が多いと思われるかも知れない。しかし、それが詩人杜甫の性根の悪さであって、用意周到、全てが計算され尽くした結果であることは、数多く杜甫の詩を読むと理解される。詩人杜甫に騙されてはいけない。

○この杜甫の「望岳・第三首」は、杜甫にしては珍しく本音が出ているような気がしてならない。凝りに凝った表現をしているうちに、つい、杜甫の本性が出てしまったものと思われる。用心深い杜甫にしては迂闊な話である。存外、それも杜甫にとっては、計算尽くのことなのかもしれないが。

○李白は曲者だから、最初から用心して掛かるけれども、杜甫の詩に、これだけ苦労させられることは珍しい。思うに、杜甫は相当苦労してこの詩を書いている。詩聖、杜甫にしては珍しいことである。それだけ、南岳衡山に対する詩人杜甫の思い入れがあったと言うことだろう。

○参考までに。杜甫が亡くなったのは、大暦五年(770年)、南岳衡山近くの湘水の小舟の上だったと言う。享年五十九歳。

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