○南岳衡山は、都から頗る遠い。そう言う意味で、衡陽の地は、流謫の地でもあった。武昌の黄鶴楼で詠じられた詩の中には、結構、そういう詩もあったりする。
○今回案内するのは、王安石の「送劉貴甫謫官衡陽」詩である。この詩を読むと、衡陽が謫官の地であったことが判る。配所の月では無いけれども、そういうところには、結構、文学が誕生することが多い。それは、日本でも同じことである。
【原文】
送劉貴甫謫官衡陽
王安石
劉郎劉郎莫先起,遇海当歌且歓喜。
船頭朝転夕千里,眼中之人吾老矣。
九疑聯綿皆相似,負雪崔嵬挿花里。
万里衡陽雁, 尋常到此回。
行逢二三月, 好与雁同来。
雁来人不来, 如何不飲令心哀。
莫厭瀟湘少人処,謫官樽佾定常開。
【書き下し文】
劉貴甫の衡陽に謫官せらるるを送る
王安石
劉郎劉郎、先に起すること莫かれ、
海に遇へば当に歌ふべく、且に歓喜すべし。
船頭の朝転ずれば、夕べには千里、
眼中の人、吾れは老いたり。
九疑聯綿として、皆相似たる。崔嵬は雪を負ひ、花里を挿す。
万里衡陽の雁は、 尋常、此に回り到る。
行逢する二三月、 雁と同じく来らんことを好ふ。
雁の来りて人の来たらずとも、 如何せん、飲まずして心を哀しませんは。
厭ふこと莫かれ、瀟湘は人の少なき処、
謫官は樽佾、常に開くと定む。
【我が儘勝手な私訳】
劉郎よ、劉郎。お前は私より先に起きてはならない。
旅の途上、船上では、当然歌を歌い、風景を楽しまなくてはならない。
船頭が朝、舟を出せば、夕方には、もう千里も舟は走っていることだろう。
目の前の私は、年老いて、そんなお前に何もしてあげることが出来ない。
衡陽からは、舜帝の廟処、九嶷山が眺められ、山は打ち続き、
冬には、広大な山地を白く雪が覆い、春には花の咲き続く村村である。
北方から万里を渡って来た雁は、普通、衡陽の雁回峰で春に出遭い、折り返すと言う。
春になって、お前が雁とともに帰って来ることを私は願う。
だから、雁が渡って来て、人の訪問が無くとも、酒を飲んで紛らわすしかないのだ。
もともと瀟湘は、それほど人の多いところではないことを悲しんではなるまい、
昔から、左遷されたら、常に酒飲み、舞いを舞って遊ぶものと、決まっているのだ。
○南岳衡山の奥には、舜帝の廟処、九嶷山が存在するし、衡陽には、有名な雁回峰が屹立する。そういう名所や名峰が存在するのが湘南の地なのである。誰もが時に湘南に憧れ、誰もが湘南を時に忌み嫌う。そういう歴史が湘南には連綿と続いている。
○現在は、衡陽には新幹線が走り、容易に赴くことが出来る。しかし、嘗て、湘南の地は、辺境の地であった。岳陽から、湘水を遡ること数日にして、ようやっと南岳衡山の入り口、長沙に達する。南岳衡山は、簡単には訪れることは難しいところであった。
○その長沙から約140卞遒貌邀拗媚撹紛茲存在し、衡陽はそこから更に40劼曚鋲遒飽銘屬垢襦D杭擦ら衡陽までが、およそ南岳衡山だと思ったが良い。南岳衡山は、それほど広大であり、広遠である。
○王安石の「送劉貴甫謫官衡陽」詩には、王安石の慈愛が溢れている。王安石は、衡陽の名勝旧跡を数え、それを存分に楽しめと劉貴甫に諭す。それが流謫された者の責務であると説く。王安石の時代、謫官は決して珍しいことではなかった。王安石自身も、そういう憂き目に遭っている。
○王安石の「送劉貴甫謫官衡陽」詩は、詩型も特殊なものとなっている。滿江紅の一つではないかと思うが、専門外の私には、よく判らない。