○南岳衡山を詠うのに、陶弼ほど相応しい人物は居ない。南岳衡山詩詞を検索して、そう思った。その陶弼の詩、「祝融峰」は、すでに案内済みである。
・書庫「南岳衡山」:ブログ『陶弼:祝融峰』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38937885.html
○折角であるから、もう少し、陶弼の詩を紹介しておきたい。今回案内するのは陶弼「南岳」詩である。
【原文】
南岳
陶弼
祝融何峻極
下看白雲根
絕頂人影稀
諸峰勢獨尊
闊能遮日域
高不避天閽
【書き下し文】
南岳
陶弼
祝融、何れの峻か極まれる、
下に看る、白雲の根。
絕頂に人影稀なり、
諸峰に、勢、獨り尊。
闊く能く日域を遮り、
高きこと、天閽を避けず。
【我が儘勝手な私訳】
南岳衡山は祝融峰に最高点があって、
祝融峰では白雲だって眼下に見下ろす。
その祝融峰山頂を訪れる人は滅多に居ないし、
南岳衡山七十二峰の中で、祝融峰は孤高の存在となっている。
祝融峰山頂からは日の出る極東までが見渡せ、
西の彼方には、日の落ちる地平線までが見渡せる。
○陶弼の「祝融峰」詩、
曾到祝融峰頂上 曾て祝融の峰頂上に到り、
歩隨明月宿禅関 明月と歩隨して、禅関に宿す。
夜深一陣打窓雨 夜深く一陣、雨窓を打ち、
臥聴風雷在半山 臥して聴く風雷、半山に在るを。
も素晴らしかったが、この「南岳」詩も、遜色ない。南岳衡山を訪れ、陶弼詩に接すると、誰もが陶弼詩の虜となること間違いない。
○以前にも紹介しているが、陶弼は現在の湖南省祁阳县の人である。陶弼にとって、南岳衡山は故郷の山である。ある意味、陶弼以上に南岳衡山を熟知し、南岳衡山に愛着のある詩人は居ない。陶弼はそういう利点を生かして、存分に筆を揮っている。
○2014年6月17日午後1時58分に、南岳衡山の最高峰である祝融峰山頂に立った。祝融峰山頂で眺めた雄大な風景は、全く詩人、陶弼の言う通りであった。この風景を陶弼があのように表現していると実感出来た。ただ、陶弼の表現力の的確さに驚き、かつ呆れるしかない。