○今回は、王勃の「秋日登洪府滕王閣餞別序」の第6節を案内したい。
【原文】
秋日登洪府滕王閣餞別序【第6節】
王勃
勃、三尺微命,一介書生。
無路請纓,等終軍之弱冠。
有懷投筆,慕宗慤之長風。
捨簪笏於百齡,奉晨昏於萬里。
非謝家之寶樹,接孟氏之芳鄰。
他日趨庭,叨陪鯉對。
今茲捧袂,喜托龍門。
楊意不逢,撫凌雲而自惜。
鍾期既遇,奏流水以何慚?
【書き下し文】
秋日登洪府滕王閣餞別序【第6節】
王勃
勃は、三尺微命、一介の書生なり。
請纓の路無く、終軍の弱冠に等し。
投筆の懷ひ有りて、宗愨の長風を慕ふ。
簪笏を百齡に捨て、晨昏に萬里を奉る。
謝家の寶樹に非ず、孟氏の芳鄰に接す。
他日庭を趨るに、鯉に對して叨陪す。
今、袂を茲捧して、喜び、龍門に托す。
楊意に逢はず、凌雲を撫でて自ら惜しむ。
鐘期は既に遇き、流水を奏するに何を以て慚ぢん。
【我が儘勝手な私訳】
わたくし王勃は、最下位の官職に就く者で、一人の読書人に過ぎない。
この座に居る孟學士などに、到底及ぶべくもない。
わたくし王勃は、軍事に無縁だから、当然、報国立功の機会は無いし、
ちょうど前漢時代の終軍が弱冠二十歳で亡くなったに等しい。
わたくし王勃は、班超が筆を捨て軍人となり、定遠侯となった道を取らず、
宗愨のように長風に乗り万里の浪を破る遠大な抱負を抱くことを願っている。
わたくし王勃は、官職を一生投げ捨てて、父母に仕えることを願って万里を行く。
わたくし王勃は、謝玄のような良家の子弟では無く、
孟軻の母親のように、教育環境を整えることを大事に育てられた。
わたくし王勃は、昔日、孔子が息子孔鯉にしたように、
父の王福時は私に多くのことを学ぶことを諭してくれた。
わたくし王勃は、恭しく両袖を捧げて、李膺傳が記す登龍門のように、
この滕王閣の酒宴に参加出来る喜びで昂揚している。
わたくし王勃は、司馬相如のように、楊得意のような推薦人に出遭わず、
凌雲の氣のある名作を手にして、一人、悲しんでいる。
わたくし王勃は、思う。知音の鐘子期が居ない時代に、
伯牙が名曲流水を奏したところで、何になろうか。
○「秋日登洪府滕王閣餞別序」で、王勃は第6節になって、ようやく自分のことを吐露する。普通、自分のことを案内するのに、滔々と故事来歴を披露する人も居ない。そこが王勃の変わったところと言うしかない。王勃は、自分のことを述べるのにも、延々と故事来歴を遠慮会釈無しに披露して止まない。もうそれは、詩人と言うより、奇人変人の類と言うしかない。
○ここに登場しているのは、前漢の終軍であり、班超、宗愨、謝玄、孟軻、孔子・孔鯉、李膺、司馬相如、伯牙・鐘子期である。これでは、まるで故事来歴の陳列と言うに相応しい。それがまた、実に上手く話の筋を埋めていることに驚く。
○こういうところが、ある意味、若気の至りなのかも知れない。それでも、素人受けすることは間違いない。表面上は、非常に変化があって、面白い。
○不学な私には、その故事来歴を辿るだけでも大変である。なかなか日本語の案内は無いから、中国語の案内に頼るしかない。出来るだけ原文まで遡っていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
○「秋日登洪府滕王閣餞別序」を読みながら、王勃の虚勢を感じるのは、私だけではあるまい。王勃は「秋日登洪府滕王閣餞別序」で、可哀想なくらい、背伸びしている。しかし、それが彼の生き様なのだろう。王勃は、相当、虚栄心が強く、見栄っ張りだったのでは無いか。なかなか友人にしたくは無い人柄だと私には映る。金田一春彦が最も嫌いだった啄木のような男だったのではないか。