○清明・寒食に関する文学を続けているが、今回は武元衡の「寒食下第」詩。
【原文】
寒食下第
武元衡
柳掛九衢絲
花飄萬家雪
如何憔悴人
對此芳菲節
【書き下し文】
寒食に第を下りる
武元衡
柳は九衢に絲を掛け、
花は万家に雪を飄す。
如何せん、憔悴の人、
此の芳菲節に対して。
【我が儘勝手な私訳】
町中の柳の木は、緑の糸枝を下へどんどん垂れ伸ばして、
町中の家々にまるで雪が降るように春の花が散っているのを見る。
人生に疲れ果てた人は、どう対処すれば良いのだろうか、
この有り余る春爛漫の豪華絢爛な花の季節に対峙した際には。
○武元衡は、日本ではあまり知られていない詩人だと思ったが、日本のウィキペディアフリー百科事典には、しっかり、その項目が存在した。
武元衡
武元衡(ぶ げんこう、758年 - 815年)は、中国・唐の詩人。河南緱氏(こうし、河南省偃師の
南)の出身。字は伯蒼。
徳宗の建中4年(783年)の進士。徳宗に才能を認められ、比部員外郎・右司郎中・御史中丞を歴
任。順宗朝では権臣・王叔文に従わなかった為、降職されたが、憲宗の元和2年(807年)には門下侍
郎・同中書門下平章事(宰相)に至った。同年、宰相のまま剣南西河節度使に任ぜられて蜀に赴き、
7年間、蜀に滞在した。淮西節度使(河南省汝南)・呉元済が反乱を起こした時、憲宗から全てを委
任されて討伐を画策したが、呉元済派の朝臣の放った刺客に暗殺された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%85%83%E8%A1%A1
○中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる武元衡は、次の通り。
武元衡
武元衡(公元758年―公元815年),唐代诗人、政治家,字伯苍。缑氏(今河南偃师东南)人。武则
天曾侄孙。建中四年,登进士第,累辟使府,至监察御史,后改华原县令。宗知其才,召授比部员外
郎。岁内,三迁至右司郎中,寻擢御史中丞。顺宗立,罢为右庶子。宪宗即位,复前官,进户部侍郎。
元和二年,拜门下侍郎平章事,寻出为剑南节度使。元和八年,征还秉政,早朝被平卢节度使李师道遣
刺客刺死。赠司徒,谥忠愍。《临淮集》十卷,今编诗二卷。
http://baike.baidu.com/view/171426.htm
○また、『百度百科』には、「寒食下第」項目も存在する。
寒食下第
中文名: 寒食下第 诗作者: 武元衡
所在朝代: 建中年间 出 处: 编诗二卷
武元衡,字伯苍,河南缑氏人。建中四年,登进士第,累辟使府,至监察御史,后改华原县令。宗
知其才,召授比部员外郎。岁内,三迁至右司郎中,寻擢御史中丞。顺宗立,罢为右庶子。宪宗即位,
复前官,进户部侍郎。元和二年,拜门下侍郎平章事,寻出为剑南节度使。八年,征还秉政,早朝为盗
所害,赠司徒,谥忠愍。《临淮集》十卷,今编诗二卷。
http://baike.baidu.com/view/5235584.htm
○武元衡の「寒食下第」詩は、如何にも絶句らしい詩である。特に、転句と結句が良い。とても起句や承句から思い起こすことの出来ないようなことを転句や結句で上手く表現するのが絶句の魅力である。その落差がたまらない。それに見事に成功しているのが「寒食下第」詩である。