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硫黄島が舎衞国であること

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○我が家は浄土真宗であるから、仏事には佛說阿彌陀經を聞くことが多い。本ブログでも、佛說阿彌陀經については、何回か扱っている。
  ・書庫「無題」:ブログ『佛說阿彌陀經』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35382175.html
  ・書庫「無題」:ブログ『佛說阿彌陀經』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38581265.html

○その佛說阿彌陀經の冒頭は、次のように、始まっている。
  如是我聞 一時佛 在舍衛國 祇樹給孤獨園 與大比丘衆 千二百五十人倶 皆是大阿羅漢 衆所知識
  長老舍利弗 摩訶目犍連 摩訶迦葉 摩訶迦旃延 摩訶倶絺羅 離婆多 周利槃陀伽 難陀
  阿難陀 羅睺羅 憍梵波提 賓頭盧頗羅墮 迦留陀夷 摩訶劫賓那 薄拘羅 阿㝹樓駄
  如是等 諸大弟子 并諸菩薩摩訶薩 文殊師利法王子 阿逸多菩薩 乾陀訶提菩薩 常精進菩薩
  與如是等 諸大菩薩 及釋提桓因等 無量諸天 大衆倶

○ここにある、
  ・如是我聞 一時佛 在舍衛國 祇樹給孤獨園
の『舍衛國』が、ここで扱う国の話である。一般には『舎衛城』と言うことが多い。ウィキペディアフリー百科事典が案内する舎衛城は、次の通り。
      舎衛城
   舎衛城(しゃえいじょう、名称については後述)は、古代インドのコーサラ国にあった首都である。
   名前の由来は、かつて Savattha(サヴァッタァ)という仙人が住していたことから名づく。また
  交通の便がよく商業都市として繁栄したが、「どんなものがある?」と聞かれると「なんでもある」
  (Sabbamm atthi)と答えることが常であったことから名づくともいわれる。あるいは、この城下よ
  り多くの名声ある人物や勝れた物を出だしたので、この名があるともいわれる。
   仏教が布教された町として多くの仏典に登場する。バーセナディ国王や息子のビルリ王が居住した。
  『大智度論』では、釈迦が舎衛城に25年滞在し、バーセナディ王やスダッタ長者など、多くの民衆を
  教化したといわれる。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%8E%E8%A1%9B%E5%9F%8E

●ところが、「日本書紀」に、『吐火羅國』と『舎衞』と言う名が出現するのに驚く。このことについて、岩波古典文学大系本「日本書紀」が、吐火羅は今のタイ国、メコン河下流の王国、ドヴァラヴァティであり、舎衞は祇園精舎で有名な舎衞城だとしているのに、もっと驚いた。

●古代から近代に至るまで、インドやタイが日本の歴史に登場することは極めて稀である。それが古代にはふんだんに存在すると言う話である。まさか、そんなことはあるまい。岩波古典文学大系本「日本書紀」が規定していることだから、学者先生たちは、本気でそう考えているのだろう。

●江戸時代に、薩摩藩に白尾國柱と言う国学者が居て、寛政七年(1785年)に「麑藩名勝考」と言う書物を出している。まさしく博覧強記の学者で、白尾國柱の「麑藩名勝考」はなかなか勉強になる。

●その「麑藩名勝考」で、白尾國柱は薩摩國河邊郡七島で、「日本書紀」が記す『吐火羅國』と『舎衞』を説明しようとする。つまり、吐噶喇列島が『吐火羅國』であり、臥虵島を『舎衞』だとしている。

●このことについては、以前、すでに詳しく検証を済ませている。長くなるので、以下のブログを参照されたい。
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『吐火羅七島』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28038471.html
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『宝島の正体』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28086992.html
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『宝島』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28100706.html
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『渡加羅島』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28139498.html
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『吐火羅と舎衞』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28176565.html
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『日本書紀が記録する吐火羅と舎衞』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28187169.html
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『舎衞国が硫黄島である理由』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28219068.html

◎白尾國柱は「麑藩名勝考」で、吐噶喇列島が『吐火羅國』だとし、臥虵島が『舎衞』だとしている。しかし、江戸時代に、白尾國柱が自由に吐噶喇列島や臥虵島へ出掛けることが出来たわけでもあるまい。極めて限定された情報から、白尾國柱は『吐火羅國』や『舎衞』を規定せざるを得なかったと言えよう。

◎そういう意味で、白尾國柱の研究を継承し、実際に吐噶喇列島を訪問してみると、いろんなことが見えてくる。これまで私は吐噶喇列島を三回訪問して、検証を済ませている。
   ・書庫「吐火羅の旅」:19個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1185562.html?m=l&p=1
  ・書庫「吐噶喇往還」:30個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1205424.html?m=l&p=1
  ・書庫「小宝島訪問」:16個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1221591.html?m=l&p=1

◎結果、「日本書紀」が記す『吐火羅國』が意味するのは『吐噶喇列島』であり、『舎衞』が意味するのが『硫黄島』であることは間違いない。白尾國柱が吐噶喇列島や硫黄島を訪問していれば、おそらく、同じ結論に達したのではないか。

◎このように、江戸時代の文献を、現代の視野で見ると、いろんなものが見えてくる。そういう意味では現代は何処でも自由に行くことが出来る。吐噶喇列島の先に中国舟山群島や寧波、会稽などが見えると言ったら、白尾國柱も驚くに違いない。実際、私は、その舟山群島や寧波に5回、会稽にも4回訪問している。

◎白尾國柱が「麑藩名勝考」冒頭で、
  【薩摩國】
   薩摩者幸島也。取諸天孫紀所謂山幸・海幸之義。萬葉集有薩男・薩人・薩弓・薩矢等之称。
  皆就兵或猟而言。此乃出自山幸・海幸之證矣。冠辞考曰、薩男・佐豆人なども左知男・左知人と言ふ
  べきを、知と豆と音通へば、後に左通男・左都人と言ふ。摩者島之略、往昔は日向より薩摩かけての
  地を島門と言ひしも、幸島之門の省ける歟と思はる。島とは、此の方にては、周廻に界限のありて、
  一區なる域を言ふ名なり。本は必ず海のみならず、國中にて山川などの環れる地にも言へり、と國號
  考に見えたり。
と断じる『薩摩者幸島也』の幸島こそが舎衞島なのである。このことについても、以下を参照されたい。
  ・書庫「鹿児島を彩る人々」:ブログ『白尾國柱と薩摩國』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28903238.html

◎そういう意味では、薩摩國の原点が硫黄島だと言うことになる。「薩摩」はどう考えても、『諸菩薩摩訶薩』の義だと言うしかない。何とも恐ろしい国名であることに驚く。それほど人々は宗教を大事にし、宗教に生きた時代であったことが判る。

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