補陀落渡海
○井上靖に「補陀洛渡海記」と言う短篇小説がある。昔読んだ本だが、1961年(昭和36年)、井上靖54歳の作品だとある。まるで荒唐無稽な話で、こういうことをする僧侶が存在することが信じられなかった記憶がある。 ○ずっと、そういう記憶を引き摺って来た。しかし、たまたま別のことを調べていて、中国浙江省舟山群島普陀山へ出掛ける機会を得た。普陀山は中国では観音信仰の聖地として知られる。
View Article吐火羅と舎衞
○仏教の来た道が普陀山から宝島を経て硫黄島であることを、普陀山や宝島、硫黄島を訪問することに拠って確認できる。この道が遣唐使船南島路と称される道であり、古代から近世に至るまで、連綿と続いて来た日本と中国を結ぶ大事な交易路であったことは間違いない。...
View Article硫黄島の磐座信仰
○硫黄島の硫黄岳(703叩忙劃困麻られているのは、磐座だと言う。これまで山頂までと、途中の展望所までの二回、硫黄岳へ登り、磐座を探したけれども、確認することができなかった。江戸時代の天保14年(1843年)にまとめられた「三国名勝図会」には、硫黄岳(703叩忙劃困糧愃造次のように案内されている。 【硫黄峯】(在番衙より、寅方、半里許)...
View Article硫黄島が舎衞城であること
○『吐火羅と舎衞』については、書いたばかりである。 ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『吐火羅と舎衞』 http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40788343.html ○
View Article薩摩国名考
○以前、ブログ『硫黄島:大山祇の故郷』『硫黄島:蔵王権現の故郷』『硫黄島:神仏混淆の仏教』『硫黄島:平家物語』『硫黄島:辯才天信仰の故郷』を書き、ここのところ、『吐火羅と舎衞』『硫黄島の磐座信仰』『硫黄島が舎衞城であること』と、長々と硫黄島について書き続けている。こうなると、どうしてもこのあたりで薩摩国名についても考えておく必要があろう。...
View Article佐伯
○前回『薩摩国名』について言及した。ついでにここで『佐伯』地名及び氏名(うじな)についても触れておきたい。『佐伯』は、現在、皆目意味不明の言葉となっている気がしてならない。第一「さえき」だと言うし、そうではなくて「さいき」だとおっしゃる方もいて、その読みからして安定していない。 ○ウィキペディアフリー百科事典には、佐伯項目が存在する。 佐伯 佐伯(さえき、さいき)...
View Article武藏房辯慶
○武蔵坊弁慶は何者か。ウィキペディアフリー百科事典は、次のように案内する。 武蔵坊弁慶 武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい 武藏坊辨慶、? - 文治5年閏4月30日(1189年6月15日))は、平安 時代末期の僧衆(僧兵)。源義経の郎党。 五条の大橋で義経と出会って以来、彼に最後まで仕えたとされる。講談などでは義経に仕える怪力無...
View Article康頼祝詞
○話が飛んで、武蔵坊弁慶にまで及んでいる。それならついでに「平家物語」が載せる康頼祝詞も案内しておきたい。康頼祝詞が硫黄島を飾る第一級の文学であることには変わりが無いからである。 維あたれる歳次、治承元年丁酉、月のならび十月二月、日の数三百五十余ケ日、吉日良辰を擇で、 かけまくも忝く、日本第一大領験、熊野三所権現、飛瀧大薩埵の教令、宇豆の廣前にして、...
View Article康頼入道の卒塔婆流し
○「平家物語」の『康頼祝詞』の話をしたら、次に来るのは『康頼入道の卒塔婆流し』しかないだろう。康頼入道が卒塔婆流しをしようと思い立ったのには、当然、その契機がある。その一つが康頼が見た白い帆掛け舟の夢で、 よろづの佛の願よりも 千手の誓ひぞたのもしき 枯れたる草木忽ちに 花咲き実なるとこそ聞け と詠う女房たちの姿であり、もう一つは、御熊野の南木の葉の和歌、...
View Article硫黄島と安芸の宮島
○『康頼祝詞』から『康頼入道の卒塔婆流し』と話を続けている。もちろん、『康頼祝詞』や『康頼入道の卒塔婆流し』が行われたのが鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であることは言うまでもない。その硫黄島へ俊寛僧都・丹波少将成経・康頼入道がどうして流されたのか。誰もそういう話をしない。...
View Article平家物語の竹生島
○ここのところ、多忙で、ブログをゆっくり書く時間が無くて困っている。ただ、思考の流れだけはしっかりしているので、こうやって、流れだけを書いている次第である。できるだけ早く、時間を見付けて、一つずつ丁寧に処理した行くしかない。 ○話は『康頼祝詞』から『康頼入道の卒塔婆流し』、『硫黄島と安芸の宮島』と来ているのだから、次は竹生島の話へと流れるわけである。実は、そういう話は以前、竹生島へ参詣した際に書いている。
View Article辯才天信仰と硫黄島
○『武藏房辯慶』から『康頼祝詞』、『康頼入道の卒塔婆流し』、『硫黄島と安芸の宮島』、『「平家物語」の竹生島』と書き続けている。背景にあるのが辯才天信仰であることは言うまでも無い。 ○また、硫黄島が辯才天信仰の故郷であることについては、前に案内した通りである。 ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『硫黄島:辯才天信仰の故郷』...
View Article天河大辨財天社と硫黄島
○ここのところ、『硫黄島と安芸の宮島』『「平家物語」の竹生島』『辯才天信仰と硫黄島』と書き続けているから、次に来るのは『天河大辨財天社と硫黄島』だろう。つまり、日本三大弁天のオンパレードと言うことである。 ○それは、日本三大弁天を通じて、日本の辯才天信仰がどういうものであるかを知ることができると考えるからである。それほど、日本では辯才天信仰はよく判らないものとなっている。
View Article江島と硫黄島
○『硫黄島と安芸の宮島』『「平家物語」の竹生島』『辯才天信仰と硫黄島』『天河大辨財天社と硫黄島』と、日本三大弁天及び弁才天信仰について書き続けている。したがって、続けて『江島と硫黄島』について述べてみたい。 ○江島地名は、結構日本中に存在するのではないか。もちろん、江島地名は弁才天信仰とともにある。
View Article日本三大弁天と硫黄島
○ここまで、『硫黄島と安芸の宮島』から『「平家物語」の竹生島』、『辯才天信仰と硫黄島』、『天河大辨財天社と硫黄島』『江島と硫黄島』と、ずっと弁才天信仰の話を続けている。こうやって日本三大弁天をベースに、日本の弁才天信仰について考えているわけである。...
View Article辯才天信仰とは何か。
○長々と辯才天信仰の話を続けている。思う存分、我流で辯才天信仰を語っているけれども、本当に、誰も辯才天信仰など気にも掛けない。おそらく、日本で最も古い仏教の形態の一つが辯才天信仰だと思われるのに、誰も何も知らないと言うのでは、話にもならない。だからこうやって執念く追い続けている。...
View Article辯才天信仰と観音信仰
○辯才天信仰を追及していて感じるのは、観音信仰との関係である。今回はそのことについて考えてみたい。『辯才天信仰と観音信仰』をもっともよく表しているのは、やはり、竹生島だろう。 ○竹生島と言えば、何と言っても、宝厳寺である。ウィキペディアフリー百科事典が案内する宝厳寺は、次の通り。 宝厳寺 宝厳寺(ほうごんじ)は、滋賀県長浜市の竹生島にある真言宗豊山派の寺院。山号を巌金山(がんこ...
View Article辯才天信仰と修験道
○前回、『辯才天信仰と観音信仰』の題で話した。それ程、辯才天信仰と観音信仰との関係は密接で深い。この問題はあまりに大きい。まだまだ考えるべき問題が山積しているのだが、そこまで宗教に深入りすると抜け出せなくなる恐れがある。それで、中途半端だが、途中で断念せざるを得ない。...
View Article辯才天信仰と弥山
○『辯才天信仰とは何か。』から、『辯才天信仰と観音信仰』、『辯才天信仰と修験道』と話をしている。今回触れたいのは、辯才天信仰と弥山の関係についてである。 ○2011年4月末に、吉野から弥山を経由して奥駈道を天河大辨財天社まで歩いたことがある。弥山(1895叩砲了劃困法天河大辨財天社の奥宮である弥山神社が鎮座ましまし、その案内板には、次のように記されていた。 弥山神社 ●弥山神社御祭神...
View Article辯才天信仰と出雲神
○『辯才天信仰とは何か。』から、『辯才天信仰と観音信仰』、『辯才天信仰と修験道』、『辯才天信仰と弥山』と見て来ている。今回、問題にするのは、辯才天信仰と出雲神についてである。 ○
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